
こんにちはりんごママです。ブログへのご訪問ありがとうございます。
現在地元沖縄にて夫のおっとちゃんと夫婦で育休を取得しています。
この記事では
- コロナ禍の妊娠、出産のリアルな話を知りたい
- コロナ禍での出産の面会や立会について知りたい
このようなお悩みをお持ちの方におすすめの記事です。
1人での妊婦健診

私の妊娠が発覚したのは、2020年の冬頃です。その頃は、すでにコロナが流行っていたため承知の上での妊娠でした。子どもが欲しいけれどもこのコロナの現状にとてもやきもきしながら過ごしていた頃、やっと授かりとても嬉しかったことを覚えています。
検診に一緒に行き、エコーで赤ちゃんの動く姿をふたりでみて、喜びを分かち合いながら検診の帰り道はおしゃべりをして帰宅するという思い描いていた妊婦生活とは違いました。
病院にはひとりでしか入ることができないため、送り迎えをおっとちゃんにしてもらい、病院の中へは1人で妊婦健診にいきました。
おっとちゃんには、エコー写真しかみせる事ができなかったので赤ちゃんがお腹の中で動いている様子などは口頭で伝えました。(エコーの動画撮影禁止の病院でした)
私のお腹が膨らんできて、おなかがポコポコ動くようになってきてからやっと赤ちゃんがいる実感がわいてきたと話してくれました。
最後の1回の沖縄での検診だけは、出産の説明や同意書を書く必要があったので、はじめておっとちゃんと検診にいくことができました。
赤ちゃんが動いてる様子をみることができた時に感動しました。とても嬉しかったことを覚えています。

両親学級の中止

緊急事態宣言がしばらく出ていたこともあり、両親学級は中止になりました。
病院でも、両親学級を受けられない代わりに動画を用意してくださっていました。
引越し先の沖縄の地元では両親学級が1回あったのですが、後期づわりで参加を断念しました。
まわりに幼い子どもがいなかったこともあり、赤ちゃんのお世話の仕方は全くの初心者で不安でいっぱいでした。
You Tubeや育児本などで知識をつけたりしていたものの、入院中産後に赤ちゃんを抱っこしたりお風呂に入れたり、ミルクをつくったりしながら少しずつお世話の方法を覚えていったため大変でした。
家に帰ってからはすぐにおっとちゃんに習ったことをシェアしました。
産後は覚えることが多くてとにかく余裕がなかったです。
りんごママと娘が退院して家でオムツを一緒に変えたり、ミルクを飲ませてみたり1つずつお世話の仕方を覚えていきました。

コロナ禍での入院

【1・2回目の入院】重症妊娠悪阻で突然の入院
東京で重症妊娠悪阻で2度入院しました。
つわりがひどく病院にいったところ「本日すぐに入院してください」とお医者さまから指示がありました。
何も準備していなかったので、家に物を取りに帰りたかったのですが、PCR検査を受けてから結果が出るまでに時間がかかってしまうので、家族の人にとりにいってもらう必要がありました。
たまたま、リモート勤務だったおっとちゃんにお願いができたのでよかったです。
検査の結果がでるまでは、万が一のことを考えてPCR検査の結果が分かるまでは、個室に隔離。
お医者様や看護師さんも手袋やエプロンなど徹底した服装で私と接していました。
翌日には陰性の結果がでたので、大部屋に移動して過ごしました。
面会は禁止。売店には許可があれば時間内にいってもOK。
荷物の受け渡しは看護師さんを介しての受け渡しでした。

突然入院になってもいいように、モバイルバッテリーや充電器などは常に持ち歩くようになりました。
【3回目の入院】お産での入院
娘は予定日が近づいてもなかなかお腹からでてくる気配がなく、お医者さまと相談後、事前に入院をして促進剤を投与し、陣痛を待つことになりました。
事前に説明を受けていましたが、面会は禁止、立会出産も禁止、リモート出産も禁止でした。
入院した病院では、売店に行くのは禁止で病室まで移動売店がきてくれてとても助かりました。
使い慣れている生理用ナプキンなどが足りなくなってしまって、おっとちゃんにもってきてもらい看護師さんを介して受け渡しをしてもらいました。
帰りの荷物の移動は、出口まで看護師さんが手伝ってくださったので、赤ちゃんを抱っこしながらでも問題なかったです。

コロナ禍の影響もあり、忙しそうな看護師さんに荷物をお願いするのはとても申し訳ない気持ちになりました。荷物の受け渡しが少なくてすむように、最初からまとめて持っていくことをおすすめします。
コロナ禍での出産

入院時の様子
入院のための大荷物をもって入院をしました。病院の中の産科までは、この日は荷物を運ぶために夫ちゃんも入ることができました。
荷物を受け渡して、レベーターに乗って移動するのですが「頑張ってきてね!」と夫ちゃん。
初産ということもあり不安でいっぱいで涙目になりました。
その日は検査をして、しっかり翌日に向けて休みました。

夜中24時から産むまで食事は禁止。当日の朝からは絶食で飲み物も禁止でした。
促進剤投与の日
翌日は朝早く6時頃から検査をして、部屋を移動し促進剤を投与しました。
すぐに軽い生理痛のような陣痛からスタートして、だんだん感覚が短くなっていきました。
午後には3分間の感覚で40秒程度の陣痛が来ていましたが、なかなか子宮口は開かず。
1人で病室で陣痛の痛みに耐えながら、時々いらっしゃる看護師さんに不安な気持ちを聞いてもらいました。
スマホは触れたので夫ちゃんと連絡をとっていました。まだ文字を打つ気力がありました。
ずっと陣痛は続きましたがなかなか産まれず、夕方頃に促進剤を中止し当日は一旦、様子を見ることになりました。
本格的な陣痛がスタート
部屋に戻りましたが、引いてくるはずの陣痛の痛みがなかなか消えず続きました。
痛みは増してくるばかり。どうやら本陣痛に変わっていたようです。
そのまま病室のベッドの上で1人、夕方の6時頃から消灯時間の9時頃までひとりでずっとYou Tubeを見ながらいきみ逃しを行い呼吸を整えていました。
1人でもテニスボールを使用していきみ逃しができたので、とてもいい動画でした。この動画がなければどうなっていたことやら…涙
途中しんどくなっていったんおっとちゃんに電話したのですが、苦しすぎるのと、孤独感で泣きながら切りました。
ここでスマホを触る余裕はなくなりました。
ナースコールを押して、時々看護師さんとお医者さまに子宮口の開きをみてもらいました。
この時点で結構苦しくて、車椅子移動です。
りんごママは少し泣きながらテレビ電話をかけてきました。
とても辛かったのだと思います。ラインで励ましの言葉を送りました。
夜中までしっかり起きてそわそわしていました。

いよいよ出産
促進剤を投与した陣痛部屋に戻り、しばらく頑張っているともう声がでるぐらいの陣痛に。
弱音を看護師さんに吐きましたが、赤ちゃんも頑張っているのでお腹に話しかけ続けます。子宮口も全開になり分娩台に移動。
そこからは看護師さんに全力で頼りながら、一生懸命産みました。
深夜2時ごろに娘が誕生した瞬間には涙が止まらず感動でいっぱいでした。
ありがたいことに、いつのまにか看護師さんが私のスマホを片手にもっていて写真と産まれた瞬間の娘の動画を撮ってくれていました。
縫合のときにはスマホを看護師さんが渡してくださったのですが、痛すぎてしばらく報告のラインはできず。
息み過ぎと出血からの貧血で視界に星が飛んでいる中、心配する夫ちゃんや家族に必死にラインで出産報告(笑)無事、コロナ禍の出産を終えました!
僕は、家で待つことしかできなかったのでとてももどかしかったです。りんごママから連絡がきたときには、写真をみて感動しました。

この記事のまとめ

私の場合は面会禁止・立ち会い出産も禁止でしたが、産院によっては同じ時期に出産をした同級生は少しだけ立ち会えた話もちらほらありました。
どうしても立会出産をしたい方は、病院選びの際にしっかりと確認をとっておいたほうがいいと思います。
(私は、昔患っていた病気の関係で総合病院での出産を決めました。)
出産をする前はとても不安でいっぱいでしたが、できることを考えてたくさんサポートしてくれた夫ちゃんや家族。
そして、お医者さまや看護師さんの心強い言葉掛けや「赤ちゃんが一番今苦しいから『お母さんは大丈夫だよ〜』と言ってあげて」と親身になって話をしてくれたことで救われました。
陣痛中は、孤独で心が何度も折れたのですが(笑)赤ちゃんと一緒に頑張ることができました。
このコロナの状況でも、色々と工夫をしてくださったお医者さまや看護さんへの心からの感謝の気持ちを伝えてこの記事を締めくくりたいとおもいます。

このコロナ禍の大変な状況の中で、たくさん力になってくださり本当にありがとうございました。
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